2008年7月 「とりなす霊」
ローマの信徒への手紙 第8章26節
「とりなす」というと、間に立ってその場をうまくとりはからうこと、つまり人間関係のほころびを繕(つくろ)うことですね。しかし聖書が一番心配しているのは、神様と人間の関係です。
たとえば、私たちが壁にぶつかったとき、どう祈ればいいかすら、わからなくなることがあります。神様への信頼も揺らぎます。しかし、そんな時こそ、神様は、私たちの思いを何とかして聞き届けようとしているのです。このことで一番心を砕いているのは、神様ご自身なのです。これをパウロは「うめきつつ、とりなす聖霊」の働きと呼んでいます。
ただ、「とりなし」は神様と人間の関係に留まりません。神様は、人と人とをとりなす方でもあるからです。そして、イエス様が教えたあの愛も、じつは「とりなす愛」だったのではないでしょうか。愛のとりなしが人の世界にも広がるようにと、「うめきつつ、とりなす霊」になる人を求めているのです。神様の愛が糸なら、繕うための針はこの私なのです。