2008年12月 「主を待ち望む」

イザヤ書 第25章9節

 先週から“待降節”、イエス様の降誕を待つ」季節に入りました。別名“アドベント”。こちらは「〜に向かう」という意味のラテン語から来ています。「待つ」と「向かう」……。ずいぶん違いますね。

 私たちは、どちらかと言えば「向かう」気持ち、逸(はや)る思いでこの季節を過ごすのではないでしょうか。師走という季節も重なります。いつも以上に、前のめりになってはいないでしょうか。

 預言者イザヤは「待つ」人でした。《わたしは主を待ち望む。主は御顔をヤコブの家に隠しておられるが、なおわたしは、彼に望みをかける》(8の17)と宣言しています。ところが、《この方こそわたしたちが待ち望んでいた主》(25の9)という預言が成就したのは、何と七百年も後のことでした。

 「待つ」、それも「望み」をかけながら待つ――これこそが待降節の本当の意味です。望みを失いそうになりながら、それでも望みをかけるほかない。しかし、そういう者をこそ顧みる神が、そばまで来てくださっているのです。



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