2009年4月 「わたしは生きている」
ローマの信徒への手紙 第14章11節
“主の復活”を告げるこの力強い宣言は、イエス様自身の言葉ではありません。福音書にも出てきません。じつはイザヤの預言(49の18)をパウロが引用しているのです。それも仲間同士で争い、互いを裁く人たちに向けられたもの。人を裁く前に、自分が《神の裁きの座の前に》立っていることを知り、互いの矛をひとまず収めるよう促します。
一見、“復活”と無関係に見えますが、じつは深いところでつながっているのです。パウロにとって復活は十字架と表裏一体。十字架は贖罪の死、つまり罪深い人間が神様に赦されて生きるための「執りなしの死」でした。この執りなしが今も生きて働いているー人がそう気づくとき、復活のわざは完成するのです。
イースターが来ると、私たちは十字架をどこかに置き忘れてしまうことが多いのではないでしょうか。でも“主の復活”は十字架を通って起きたのです。そしてあの十字架は、私たちの心に、また暮らし中で〝復活〞が起こるようにと、今日も執りなし続けているのです。