2017年 6月 「その日が来れば」

  イザヤ書11章10節

  聖書に繰り返し同じような表現がで てきます。最後の審判と結びつくと、厳 しい裁きの言葉が続きそうで、つい身構 えてしまうかもしれません。

  でもこれは「エッサイの根」という預言の結びです。イスラエルはたとえ切り 倒されても大丈夫。その切り株から若枝 が育ち、メシア(救い主)が必ず現れる から―この約束がいよいよ成就する、その日その時を指しているのです。

   しかもイザヤが注目するのは、その切り株にとどまる《霊》でした。あまり気づかれないけれど、時満ちるまで神様の力が働き続けている、と訴えているのです。まるで、イエス様の十字架から復活、そして聖霊降臨へと続くドラマをなぞるかのような預言です。

   《その日が来れば》、狼が小羊と共に草を食(は)み、乳飲み子が毒蛇の穴で遊んでも安心―イザヤが思い描いた世界を、イエス様は「神の国」と呼びました。これこそ聖霊降臨で生まれた教会に託された幻=B聖霊のバトンは、私たち 一人ひとりの手の中にすでにあるのです。

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