2019年 9月 「神様の捜し物」 

 ルカによる福音書15章4節 

  9月 の 標 語

迷子の羊、失くした銀貨、放蕩息子―いずれも、数あるイエス様のたとえ話の定番中の定番です。でも、それが1つの福音書、それも、たった1つの章のなかで立て続けに語られていることは、案外知られていないかもしません。それが「ルカ15章」です。

ここには、イエス様の教えの核心が、ぎゅっと詰まっています。一言で言うならば「神様の捜しもの」。

忘れものや探しものと言えば、日々の暮らしに付きものです。でもその原因はたいてい自分にありますね。ところが、神様は違うのです。人間の罪、的外れな人間のせいで「見失われた」ものたち。それを「自分のせいでこうなった」とばかり必死で捜し回るのです。あの手この手を使って、いろんな人を巻き込みながら…。神様は、まるで人間のしりぬぐいをしてばかりのようです。

なぜでしょうか? 人間が《かけがいのない子》(エレミヤ31の20)だからです。失われた者はみな。そしてそれに気づきもしない私たちもまた。

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