2019年 11月 「この善き業のために」 

 エフェソの信徒への手紙2章10節 

  11月 の 標 語

《わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。》―この一節に、聖書の粋(すい)が言い表されています、じつに、みごとに。

造り主なる神様は、善なる方です。地上に生まれいでさせた命。その一つひとつを通して、「善き業をなそう」と、いつも待ち構えておられます。その善き業を、ぜひ「一緒に」おこなおう、と… 。

それは、イエス様が声をかけた最初の弟子たちの経験と似ているかもしれません。何もわからず、何の経験もないまま、ただ付いていっただけ。それが、いつの間にかイエス様の手伝いをすることに… 。これが《キリスト・イエスにおいて造られた》ということなのでしょう。

善き業の備え主が、力足りない私たちに、今日も呼びかけています。善き業の旅に出よう、と。初心者だって大丈夫。何せ案内人は、イエス様なのですから。

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