2019年 12月 「荒れ野よ、喜びおどれ」

イザヤ書35章1節〜

12月 の 標 語

「荒れ野」−聖書の世界ではおなじみの風景です。緑少なく、乾いた土地柄。少し先には砂漠が荒涼と広がります。陽が照れば灼熱。少し風が吹けば砂嵐。

この厳しい環境のなかで、しかし人は生きなければなりません。無力さを突き付けられ、もがきながら.... 。それでも行き詰まることがあります。

つい、こぼしてしまうのです。「私のこの暮らし。荒れ野のよう」「何も感じなくなったこの心もまた.....]と

 

そんな「荒れ野状態」の人に向かって預言者イザヤはこう言います。「喜び踊れ。花を咲かせよ。水を湧き出でさせよ。」無理難題を突き付けているわけではありません。

これは”預言”つまり神様の思いを預かり、私たちに伝える言葉なのです。必ずそうなる。そうするのが、神様のたっての願いなのだから、と。

これは今なお変わらぬ約束だ。と告げ知らせるのがキリスト。「主は救い」(イエス)と名付けられたあの方なのです。救いよ、この荒れ野にきたりたまえ。

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