2020年 3月 「与えすぎた主」 

マタイによる福音書14章18節〜21節

  3月 の 標 語

 イエス様の生涯は、ひと言で言うなら、ひたすら与え続けた主≠セった、ということができます。

 み言葉であれ、癒しであれ、神様の恵みを、イエス様は請われるままに、いえ、時には頼まれていないのに、出会う人に与え続けました。まさに、「5つのパンと2匹の魚」で何千人もの人を満腹にしたという、あの逸話そのものです。

 ところが、その先に待っていたのは、人々の無理解、弟子たちの裏切り、そして十字架の死でした。与えるだけ与え、ついには、自らの命まで差し出しすという生き方に、出会った誰もが、つまづいてしまったのです。

 ただ、イエス様は、自分が「つまづきの石」となることを、伝道の始めからご存じでした。それでもなお、与えることを止めなかったのです。なぜなら、神様の憐みは無限だからです。

 この限りなき愛を、とことん生きる―その覚悟がイエス様を突き動かし、十字架への道を歩み続けさせます。たとえ、与えすぎた≠ニ言われようと。

使徒言行録20章35節 

 

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