2020年 5月 「ゆるしを生きる」 

  5月 の 標 語

「七の七十倍ゆるしなさい」「敵を愛せよ」とは、イエス様の極めつきの教えです。でも、ついたじろいでしまいます。あきらめてしまうかもしれません。もちろんイエス様も、人が自力で出来ると考えてはいません。ただ、神様の助けがあれば出来る、と信じているのです。

 ところで、聖書のゆるし≠ヘ 日本語の「水に流す」というニュアンスとは違います。そもそも神様は、私の罪を忘れてくれません。逆に、自分の罪=「的外れさ」と向き合うよう迫ります。

 と同時に、「ゆるめる」のです。罪を抱えたままでもいい、と裁きの手をゆるめ、私という存在を受け入れてくださるのです。そして、この「ゆるめ」のなかで、神様の願いに沿って生きるよう、新しく作り変えられていくのです。ゆるせないはずの相手を少しだけ、そして少しづつでも受け入れるように、と。

 ゆるし、ゆるされ、ゆるし合う―この愛の極意を生きたい。そんな願いから生まれたのが教会でした。それは、まさに聖霊の働きにほかならなかったのです。

  4月 の 標 語

 不安や苦悩が渦巻く世に、平安(シャローム)と、神様の限りなき愛をとことん与え続けたイエス様。しかし、行きついたのはあの十字架の死でした。

 すべては水の泡…と思われたその時でした。「死んだはずのイエス様は生きている」「復活なされたのだ!」という証言が、次々に出てきたのです。それを礎に、教会というまったく新しい群れも生まれました。終わっていなかったのです。あの「神の国プロジェクト」は。

 十字架ですら止めることのできない神様の愛。そこに私たちをつなぎとめているもの。それがキリストなのだ-と力強く証言したのがパウロでした。

 イエス様は神様と私たちの「結び目」なのです。こちらの力が弱くなって離れそうになったり、心くじけてこんがらがっていると、神様はいったんほどいて結び直すのです。そして、試練としか思えない今この時だからこそ、私たちにつながろうとしているのです、一層力強く。

 あの復活≠烽ワた、神様の限りない愛の業なのです。