( 4月 の 標 語 )「予告されていた復活」(ルカ9章22節)

  イエス様は、ガリラヤからエルサレムに向かう旅の途上、ご自身の死を予告されました。弟子たちは理解できず、怖くて尋ねられません。しかし神様の霊のうごめき≠ヘ止みません。そしてイエス様も受難を三度予告したのです。

  予告どおり、イエス様は十字架につけられ、葬られました。しかし婦人たちが墓を確かめると、その体がありません。途方に暮れていると、天使が現れ、こう告げます― 《三日目に復活することになっている、と言われていたではないか》。その時、婦人たちは思い出したのです。イエス様が予告していたのは死だけではない。復活も予告されていたのだ、と。十字架と復活は表裏一体、一つの出来事だったのです。

  ただ、弟子たちは、婦人たちの報告を聞いても「たわ言」だと思ったのです。そんな弟子たちに、そして私たちにも、イエス様は霊のうごめき≠もって出会い続ける、まさに「十字架と復活の救い主」なのです。

  それでも霊のうごめき≠ヘ止まりません。「予告された死」へと向かうイエス様に、怖くて尋ねることもできないまま従った弟子たち。しかし、やがて気づくのです。十字架の向こうにたどりついた時に。予告されてたのは、じつは救い≠セったことを。

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